[二]
こ れま での思想史を読むかぎり 、 思想家たちは 、 新し い思想の模索が必要になっ たと き 、 つねに、 過去の思想、 一度忘れら れた思想を、 新しい視点から 読み直すと いう 作業をおこ なっ ている 。 いわば、 古典を再読し ながら 、 過去の思想から も う 一度学び直すこ と を通し て、 それに新し い解釈を加えていっ たのである 。
私には 、 それと 似た模索が、 今日の人々 の間で起こ っ ている よ う な気がする のである 。
たと えば近代社会が課題にし てき た、 人間によ る ( ア ) と いう 願望は 、 いま では 急速に過去のも のになろう と し ている 。 代わっ て自然との共生や、 自然と 人間が調和し う る 文化と は 何かが、 人々 の口から 語ら れる よ う になっ てき た。 そう し て、 そのよ う な気持ちを抱いたと き 、 人々は 、 ごく 当たり 前に自然と の共生を果たし てき た過去の人々 の営みに、 関心をも つよ う になっ た。 それは 、 と き に一度私たちが忘れかけた農山村に暮ら す人々 の知恵であり 、 と き にアイ ヌ 民族の自然と の接し 方であり 、 ある いは アメ リ カ先住民の自然観であっ た。 いわば、 今日私たちは 、 過去の自然と 人間の関係を、 現代的な視点から 読み直そう と し ている のである 。
個人と 共同体と の関係でも 、 同じ よ う なこ と が進んでいる 。 今日では 、 私たちは 、 個人が生き 生き と し た個人と し て存在する ためにも 、 他者と の関係が必要なこ と に、 ある いは 、 支え合い、 助け合う 関係を創造し なければ、 私たちは 孤立し た個人と し て、 こ の社会のなかで流さ れていくばかり だと いう こ と に気づき は じ めた。 そう し て、 そのと き 私たちは 、 共同体と は 何だっ たのかを、 新し い視点から 読み直す作業に着手し は じ めたのである 。
過去に回帰する ためでは なく 、 未来を創造する ために、 「過去」 から 学びつく す動き が、 と き には 意識的に、 と き には 無意識的に進みは じ めた。 たと えば、 今日では 、 「おばあさ んの知恵」 と いう 言葉を聞いたと き 、 それは 古く さ く 無用のも のだと は 、 誰も 感じ なく なっ た。 むし ろ逆に、 こ の知恵のなかに、 私たちが失っ た文化があり 、 でき る こ と なら それを身につけたいと 感じ ている 。
こ のよ う な動き を見ている と 、 私には 、 二十世紀の終わり になっ て、 近代社会と 近代文明を相対化する 静かな変化が起こ っ ている よ う に感じら れる のである 。
こ の文章で筆者が一番言いたいこ と は 何か。