問題13 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、A.B.C.Dから一つ選びなさい。
(前略)ルネサンスは、「人間は偉大である!」と力強く宣言した時代である。それま での教会と神の権威のもとでは、人間は卑小でちっぽけな存在でしかなかった。 し かし、その小さな存在である人間たちには、現代の私たちのように、_ 分らが宇宙の 最強の生物であるというおごりはなかったにちがいない。
私たちはふたたび、人間は小さな存在である、と考え直してみたい。(①)、それが どれほど小さくとも、草の葉の上の一滴の露にも天地の生命は宿る。生命という言 い方が大げさなら、宇宙の呼吸と言いかえてもいい。
空から降った雨水は樹々の葉に注ぎ、一滴は森の湿った地面に落ちて吸いこまれ る。そして地下を水脉は地上に出て小さな流れをつくる。やがて渓流は川となり、 和野を抜けて大河に合流する。
その流れに身をあずけて海へと注ぐ大河の水の一滴が私たちの命だ。濁った水 も、汚染された水も、すべての水の差別なく受け入れて海は広がる。やがて太陽の光に熱せられた海水は蒸発して空の曇となり、ふたたび雨水となって地上に注ぐ。
人間の生命は海からはじまった。人が死ぬということは、月並みな喩えだが、海に 還る、という::とではないのか。生命の海の還り、ふたたびそこから空に昇ってい く。そして曇となり、ふたたび雨となって、また地上への旅がスタートする。
それが私の空想する生命の物語だ。ごくありふれた安易なストーリーにすぎない が、私は最近、本気でそう思うようになった。
自殺するしかない人は、そうすればよいのだ。死のうとしても死ねないときがあ るように、生きようと努力してもそういかない場合もあるからである。だが、大河の 一滴として自分を空想するようになったとき、私はなにもわざわざ自分で死ぬこと はないと自然に感じられるようになってきたのだ。
筆者は、現代の人間は自分のことをどう思いがちだと言っているか。